旅の準備に!知っ得情報

伊豆高原・伊東市の歴史

今や別荘地としては有名な伊豆高原は伊豆急行が伊東市内の地区内に開発したのが始まりでした。
伊豆高原がある伊東市は温泉の歴史も古く、多くの文人たちに愛され、この地で多くの名作が生まれました。
その中で伊東出身の木下杢太郎は医学者でもある文学者で多方面でも活躍した人物です。杢太郎の親友北原白秋もよく伊東を訪れていました。
『人生劇場』を書いた尾崎士郎は戦後伊東に住み、『天皇機関説』などを書き続けました。
伊東市内各所には、伊東ゆかりの文学碑や歌碑などが数多くあるので、文人の足跡を訪ねる散歩も楽しいと思います。
また松川沿いには静岡の町並み50選に選ばれた場所があります。昭和初期の木造旅館が立ち並び夕暮れ時、街灯に灯が点るこの頃には、古きよき温泉情緒が楽しめることでしょう。


■東海館

昭和3年に温泉旅館として創業し、現在は伊東市の観光・文化施設として昭和初期の木造建築様式を残している。趣向を凝らした剣突日が見どころである。日帰り入浴も可能。


料金:大人200円 子供100円
入浴料:大人500円 子供300円
時間:9:00~21:00(入浴時間 11:00~20:00、男女時間設定あり))
休館日:第3火曜日
交通:伊東駅から徒歩10分
TEL:0557-36-2004

■木下杢太郎記念会館

医学者であり、文学者としても活躍した木下杢太郎の生家。与謝野鉄幹、晶子、北原白秋、石川啄木らと交流を深め、森鴎外に師事。原稿や親交のあった作家との所管を展示しています。


料金:大人100円 子供50円
時間:9:00~16:30(10月~3月、~16:00)
休館日:月曜日
交通:伊東駅から徒歩5分
TEL:0557-36-7454


曽我物語の史跡を巡る

曽我物語とは

曽我物語とは「曾我兄弟の仇討ち」を題材にした軍記物語です。多数の話がありますが中でも真名本曽我物語が最も古く、多く取り上げられています。

あらすじ・・・ 『平安時代の末期、伊豆の武士たちのあいだでは複雑な所領争いが繰り広げられ、工藤祐経《くどうすけつ》)は伊東祐親《いとうすけちか》に謀られて所領を奪われてしまいます。祐経はその報復にと、伊東祐親・河津三郎《かわづさぶろう》父子を殺そうと刺客を放ったのです。刺客の矢は河津三郎に命中、彼は落命したのでした。  その後河津三郎の未亡人はふたりの子どもを連れて相模の曽我祐信《そがすけのぶ》のもとに嫁ぎました。このふたりの子どもが曽我十郎祐成《すけなり》と曽我五郎時致《ときむね》です。父を失ったとき、兄十郎祐成は5歳、弟五郎時致は3歳でした。  さまざまな苦難を経た末、兄弟に父の仇工藤祐経を討つチャンスがめぐってきました。建久4(1193)年、源頼朝は富士の裾野で巻狩りを行いました。巻狩りとは勢子が山の上の方から鹿や猪を追い出し、下の方で待ちかまえた武士たちが獲物を射るものです。この行いは軍事演習を兼ね、有力な家臣その他の御家人たちが大勢参加する政治的なものでもありました。兄弟は巻狩り期間中の工藤祐経の宿所を探りあて、警備が手薄な時間をみつけ、5月28日の夜、兄弟は祐経の宿所に忍び入り仇を討ったのでした。。苦節18年目にして本懐を遂げたのです。  やがて周囲の武士たちが兄弟に斬りかかり、十郎祐成は討ち死にをし、五郎時致は剣をかいくぐって頼朝の宿所に突進し、頼朝の側近に捕えられました。翌日尋問が行われ、頼朝は五郎が勇気ある武士だということで許そうとしましたが、祐経の子の嘆願により処刑されたのでした。』

曽我物語にゆかりのあるお寺や名所はいくつかあります。その史跡を巡りながら、曽我物語をさらに知っていくのもよいでしょう。


■東林寺

伊東祐親が我が子、祐泰に死を悼んで菩提寺にしたとされる寺。境内には祐泰があみだした『河津掛け」記念して相撲記念碑が建てられている。

伊東駅から徒歩20分 TEL:0557-37-3416

■河津三郎塚

伊東祐親の息子であり曽我兄弟の父である河津三郎祐泰、祐親と領地争いをしていた工藤祐経の家来によって殺されたといわれる場所。

伊東駅から赤沢行きバス「浜入口」下車徒歩15分 TEL:0557-37-6105

■物見塚公園と伊東祐親の墓

伊東家の館跡と伝えられる物見塚公園には伊東祐親の銅像が建ち、公園を出て300m西へ進むと祐親の墓と伝えられる伊東市指定文化財の立派な五輪塔が建っている。

伊東駅から徒歩20分 TEL:0557-37-6105


日蓮上人と伊東の繋がり

『立正安国論』が建白されて後、幕府や念仏批判に恨みを持っていた僧や北条氏らに怒りを受け伊豆へ流されることを宣告されました。日蓮は伊豆へ流され、海の岩の上に置き去りにされたところを漁師にかくまわれたのです。

 

■佛現寺

伊豆に流されて後、伊東八郎左衛門の難病を治した日蓮は、八郎左衛門も屋敷の鬼門を守る毘沙門堂に3年を過ごした。流人となった日蓮のひと時の休息の地である。

伊東駅からシャボテン公園・海洋公園行きバス「大原町」下車徒歩5分 
TEL:0557-37-2177

■俎岩(まないたいわ)

日蓮が置き去りにされた岩。

城ヶ崎海岸駅から徒歩20分 TEL:0557-51-0112

■お岩屋

日蓮を俎岩から救った漁師の船守弥三郎夫妻が日地連をかくまい、衣食住の世話をした岩屋。

伊東駅から徒歩20分 TEL:0557-37-6105


源頼朝と八重姫

曽我物語の中に源頼朝に関する話があります。 仁安2年(1167年)頃伊豆に流された頼朝は伊東祐親の元におりました。ある日祐親が京にいる間に頼朝は祐親の三女・八重姫と通じ、子を成しました。子供は千鶴丸と名付けられました。しかし、祐親が平家の怒りを恐れて千鶴丸を伊東の轟ヶ淵に投げ捨てしまいました。祐親は頼朝を葬ろうと企てますが、それを知った頼朝は逃れて一命を取り留めたのです。 その後、頼朝は北条政子と出会うことになるのです。 この話の中に出てきた頼朝と八重姫のゆかりの場所として『音無神社』があります。この場所で二人は人目を忍んで密かに逢瀬を重ねたのです。

■音無神社

伊東駅から徒歩15分 TEL:0557-37-6105


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